WASA鳥人間Projectの歴史

WASA鳥人間プロジェクトは2014年度で30年目を迎えました。

これまでの活動の歴史を振り返るページを用意しました(´▽`)


<滑空機部門時代>

1985年 初代
WASAに鳥人間プロジェクトが誕生!
機体重量70㎏、安全率10の頑丈な機体で鳥人間コンテスト第9回大会(滑空機部門)に初挑戦!

記録:18.17m
順位:70チーム中40位ほど

1986年 2代
初のCFRP主桁を導入した機体を製作
(記録については調査中です)

1987年 3代
鳥人間コンテスト第11回大会(滑空機部門)に出場
創設3年目にして上位入賞を達成!

製作費:22万円
記録:144m
順位:3位

1988年 4代
滑空機部門に出場

製作費:20万円
記録:194.15m
順位:6位

<人力プロペラ機部門時代>

1989年 5代
この年から人力プロペラ機部門にエントリー
台風の影響により、プラットホーム上で主翼が損傷し、棄権。
大会自体もプロペラ機部門は中止になった。

1990年 6代
人力プロペラ機部門に出場
WASAが開会式で選手宣誓を務める

製作費:50万円
記録:291.33m
順位:6位

1991年 7代
人力プロペラ機部門に出場
この年からリカンベント式に変更

製作費:65万円
記録:158.3m
順位:4位

1992年 8代
人力プロペラ機部門に出場
奨励賞を受賞!

製作費:100万円
記録:256.11m
順位:6位

1993年 9代
人力プロペラ機部門に出場
プラットホームからの離陸後に主翼が破損し、8位に終わる

製作費:100万円
記録:55.11m
順位:8位

1994年 10代
人力プロペラ機部門に出場
操縦桿の損傷と雨により尾翼が動作不良を起こし10位に終わる

製作費:100万円
記録:59.35m
順位:10位

1995年 11代
人力プロペラ機部門に出場
ディスタンス部門におけるWASAの公式最長距離を記録

製作費:150万円
記録:910.92m
順位:4位

1996年 12代
人力プロペラ機部門に出場

記録:132m
順位:12位

1997年 13代
初の女性代表がチームを率いたが,書類選考で落選を喫する
大会も台風の影響により初の全面中止となった

1998年 14代
初の3枚ペラで人力プロペラ機部門に挑戦するも護岸に着陸し失格となる

1999年 15代
この年も3枚ペラで人力プロペラ機部門に出場。
初の女性パイロット(日本女子大生)で挑戦し,当時の女性パイロット記録を樹立!

製作費:150万円
記録:557.27m
順位:4位

2000年 16代
この年、大学が火災に見舞われ製作中であった機体を一時失った。しかし他チームとOB・OGの協力により奇跡的に機体を完成させ大会に出場することができた(3枚ペラ)。大会結果としては、スターターがプラットホーム上から転落し、失格となってしまった。

2001年 17代
人力プロペラ機部門に出場

製作費:200万円
記録:708.5m
順位:7位

2002年 18代
人力プロペラ機部門に出場

製作費:200万円
記録:608.17m
順位:7位

2003年 19代
大会に不参加

2004年 20代
台風による悪天候で、人力プロペラ機部門出場チームの半数がフライトできず競技不成立となった
そんな中、WASAは900m以上飛び、大健闘を果たした。
非公式のWASA最長記録となる。

製作費:230万円
記録:944.11m
順位:(暫定1位)

2005年 21代
人力プロペラ機部門に出場
飛行禁止区域を飛行したため失格となったが、1㎞以上の飛行をした。

2006年 22代

人力プロペラ機部門に出場

記録:62.4m
順位:11位

2007年 23代
人力プロペラ機部門に出場
結果は不本意に終わったが、サポーター賞を受賞!

記録:65.68m
順位:9位

<タイムトライアル部門時代>

2008年 24代
この年から人力プロペラ機タイムトライアル部門にエントリー
当時の折り返し地点である1㎞に到達できず、1分49秒で着水。
しかし、2年連続サポーター賞を受賞

2009年 25代
リーマンショックの影響による大会が中止となる

2010年 26代
人力プロペラ機タイムトライアル部門に出場
旋回中に墜落し記録なし

2011年 27代
人力プロペラ機タイムトライアル部門に出場
旋回中に墜落し記録なし

2012年 28代
書類選考で落選となる

2013年 29代
人力プロペラ機タイムトライアル部門に出場
当時の新記録でプラットホームに帰還したが、禁止区域を飛行したために失格となった

2014年 30代
WASA活動停止の影響により、大会エントリーを見送った
ホンダエアポートでメモリアルフライトを実施

2015年 31代
人力プロペラ機タイムトライアル部門に出場
強風による機体損傷によってプラットホーム上で棄権

2016年 32代
人力プロペラ機タイムトライアル部門に出場
旋回前に着水し,記録なし

<ディスタンス部門時代>

2017年 33代
タイムトライアル部門の廃止によりディスタンス部門に高速機として出場
記録:707.8m
順位:11位

2018年 34代
設計にAIを用いるも、書類選考で落選を喫する
ホンダエアポートでメモリアルフライトを実施
大会も台風の影響により2日目は中止となった

2019年 35代
1日目は台風により多くのチームが苦しめられた。しかしWASAの出番である2日目には打って変わって快晴に。パイロットの家族に注目が集まった。
記録:451.79m
順位:8位

2020年 36代
新型コロナウイルス感染拡大により大会が中止。フライングワイヤー、リアスパーなどWASAのDST機としては新しい機構が多く盛り込まれた機体であったが、残念ながら未完成のまま執行代を終える。

2021年 37代
新型コロナウイルスにより活動が大きく制限されている中で、出場できなかった36代の設計を用いて出場した。
記録:59.29m
順位:9位

2022年 38代
残念ながら書類選考に落選した。メモリアルフライトの実施を試みたが機体移動時に破損し、富士川滑空場でのTF時の滑走路の端から端まで飛び切り約850mが非公式録となる。OB宅に機体は保管され、WASA38代の一部で構成されるOBチーム Optimalisに引き継がれた。

2023年 39代
代替わり時のトラブルや作業場所移転の難航などといった問題に立ち向かいつつ機体製作に勤しんだが、残念ながら2年連続で書類選考に落選という結果となった。

[参考]
鳥人間コンテスト公式HP 「大会の歴史」

手元にあった資料を参考にこれまでのWASA鳥人間プロジェクトの活動歴史をまとめました。
資料の出どころが不明なため、元々鳥人間プロジェクトの記録をまとめていた方にはこの場でお礼申し上げます。
今後の鳥人間プロジェクトの活動記録は後輩たちが更新してくれると嬉しいです。

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早稲田大学宇宙航空研究会 WASA鳥人間Projectの公式HPです